2008年5月10日 (土)

あれから、今 は、、【6】

49歳 私の誕生日・annoy平成13年8月8日に『親父』と再会を決意!annoy

私は【叔父】にその旨申しましたら、目にweep泪を浮かべながら何度も、何度も頷いていました。そして《積年の念》に終止符が打たれた事に、心から心からconfident安堵していた様子で私の北九州での話し合いは、取敢えず一つ山を乗り越えてbullettrain帰阪の路に、、、、。

さて、此れからは私が『親父』とどの様な再会をするのか、、、、が、私の心をthink悩ませていました。『親父』との40年間の空白を果たして乗越えられるだろうか、、、、、。帰阪してからは、日々葛藤の毎日でした。flairそして私として取り組みを行ったのは、先ずは市役所と病院との話し合いでした。

building市役所に【小倉の叔父】との話し合いの状況を全てお話をしました。そして、今後『親父』の事は私が引き受ける旨を申し上げました。同時に8月8日に『親父』と再会の為、別府の病院に出向く事を報告。市役所にも御挨拶に伺う事も伝えました。

又、hospital病院には市役所を通じて担当の婦長さんを紹介戴きました。婦長さんには、今迄の経緯を何度も申し上げて、この度『親父』に面会に伺う旨お伝えしました。同時に、今 何か必要な物が有れば送りますと云うと、○○と△△、、、云々。早速 手配をして送品。

其の後は、頻繁にtelephoneをして『親父』の状況を伝えて戴いてました。そんな或る時、婦長さんから鉄輪のshadow[K]さんが度々お見舞いに来られて要る事を聞きました。如何も『親父』が呼び出していた様でした。其処で【叔父】にshadow〔K〕さんの事を尋ねてみると、『親父』が今日まで色々とお世話に為っている方で、『親父』が勝手に自分の『後見人』さんに指名している方と判明致しました。(building市役所にも届けを提出していました。)

私は直ちにshadow〔K〕さんにtelephoneをして、『親父』の子供として初めての対話を致しました。鉄輪のshadow〔K〕さんには、今迄の経緯を申し上げて『親父』への心からのお力添えを感謝。shadow〔K〕さんは、私を快く受け入れて戴きまして本当に、本当に心からの感謝の念で一杯でした。そして8月8日に『親父』と面会をする旨を伝えると、shadow〔K〕さんは自分の事の様に心からhappy01喜んで下さりました。面会後にshadow〔K〕さん宅にhouseご訪問をさせて頂く事と相成りました。(shadow〔K〕さんからは、今から楽しみに心待ちにしていますとの事でした。)

平成13年8月8日に向けての準備は着々と整いつつ有りました。が、、、、、、。

一方hospitalの方はと申しますと、婦長さんが『親父』に息子さんが、面会に来る旨を伝え聞いていた『親父』は、自分には子供などいない!し、勿論happy02 私の事も全く知らないの一点張りで、子供の存在すら否定をし続けていた様子でした。其処で、婦長さんから私に手紙と写真を送って下さいとの事で早速hospital病院に、postoffice郵送致しました。然し、再三 子供の存在を否定をしたそうでした。

こうなれば、如何しても8月8日eye面会をして、『親父』をpunch平伏させて必ず、反省と謝罪をさせてやるぞ!、、、、との想いが日増しに高鳴っていました。

そして、愈々 迎えた 平成13年8月8日sun快晴の朝 bullettrain別府に向って  いざ出陣!!

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2008年5月 3日 (土)

あれから、今 は、、【5】

平成13年6月5日。   愈々、『叔父』との話し合いの場へ、、、、、。

朝からrain雨模様の天気で、話し合いの前途を危ぶむかの、、、雲域でしたな、、。後輩の車でカーナビを頼りに『叔父』のhouse家へと向いました。近くまで来た所でtelephoneをしていた時、私をまじまじと見詰ている初老の男性が、【正彦】か、、、、。と、声を掛けて来ましたので「ハイ」と答えると其の方が「親父」の弟の『叔父』さんでした。約40年振りの再会でした。

私の後輩に対しては、感謝の意を込めて最大限の御持て成しを施して戴きました。後輩とは、『叔父』の家で別れる事になり、私も感謝の念で『叔父』と一緒に後輩を見送りました。

愈々『叔父』との間で、空白の40年間を其々の想いで話し合っていました。不思議と自然に又、無意識の内に腹を割って話し合っていた自分が其処にいました。そして、今回の話の全容を知らされました。が、私としては素直に「親父」を許す訳にはいかないので、この場では即答を避けました。(今迄の母の苦労を考えると、時間が必要でしたので、、、)

其の時、『叔父』から兎に角 見せたい物が有るので、、、と渡されたのが”御祖母ちゃん”の【遺言】でした。「親父」に対する、「母親」の想い、、、、そして、「孫」にあたる私たちと「母」に対しての、後悔の念,、、、、等々。御祖母ちゃんの想いが、綴られていました。そして、最後に私達子供の誰かが「親父」の最期を看取ってくれる事を願って要る旨でした。同時に、『叔父』に対しては「親父」の「墓」を建てて最大限に供養する旨、申し伝えていました。

其の為『叔父』は、私との本日の話し合いが決まった時点に、既に「親父」の為の【墓地】を購入していた様でした。依って私に【墓地】の下見に行こうと申しますので、取敢えず連れて行って貰う事と成りました。

実は私の母がこの年(平成13年2月)に【墓】を建立しまして、写真を送って着た事を思い出し○○霊園に【墓】を建てたことを話しましたら、何と購入された【墓地】は同じ霊園と判りまして、早々に2人で霊園に向う事と相成りました。(偶然は此れだけでは終りません)【事務所】で【墓の建立】の手続きを行い、場所の確認を致しました。そして母の建立した【墓】の場所と「親父」の【墓】の建立予定地とが、中央の大通りを隔てて横一の場所でした。そして因みに、104歳の天命を全うした【御祖母ちゃん】の眠っているお墓が、三角点の頂点に位置している事が判明した訳で在ります。

【御祖母ちゃん】が、自分の廻りに私達を呼び寄せたの如く【不可思議な縁】を肌でひしひしと感じた次第でした。  私として、《腹》を決めました。

 平成13年8月8日、我が49歳の誕生日に別府の「親父」と再会を約束!!

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2008年4月28日 (月)

約束の石鎚登山から、、、≪2≫

gawk平成13年6月3日。

33年の”時の流れ"は非情にも、私達の記憶を打ち消すかの如く、全くの別世界に入り込んだ感の《登山口》にshock唖然と致しました。Photo_3 同時に此れから登り始める4・6km先のfuji【石鎚山頂】を、どの様にして克服しょうかなぁ、、、とcatface『頭』は考え、『身体』は、このwobbly二日酔いをどの様にして克服しょうかなぁ、、、と、coldsweats02葛藤の中での【再登山】がスタート致しました。(山頂まで約3時間を目標に)

スタートしてからの1時間は全く喋る余裕も無く、只 登山道の先のみ見詰ての状態です。最初の休憩の時には、『身体』中のbeerアルコールが"汗"となって流れ出ていたんですわ。お陰で調子も上向いて来ました。当然、口からも普段のように言葉がポンポン出て来だしました。 H1363

周りの景色も変化を繰り返しながら、一歩・一歩【山頂】に近づいてきていました。【石鎚桜】も満開でして、本当に本当に沈んでいた心も、何時しか晴れ晴れ浮き浮きに変わっていたんですわ。

愈々、【山頂】前の難所【三の鎖場】です。Photo_5 此処を昇りきれば、【石鎚山】山小屋です。(弥山1955m)

想えば33年前も昇ったこの【鎖場】でした。何とか、迷惑を掛けずに(弥山1955m)の【山頂】に登頂しました。136

其の後、最高峰の【天狗岳1982m】に登頂して、3人で33年後の目標を達成!

食事を取りながら、ウィスキーを飲んで雑談をしながら下山後の予定を確認し合い一時を楽しく過しました。

下山後は≪道後温泉≫に入る予定でしたが、途中の≪国民宿舎≫の温泉に立寄って3人で"汗"を洗い流しました。私としては之から始まる、『北九州』での事が頭を過ぎっていった事は、申すべきも無い事実で有りました。Photo_7

     「あれから、今 は、、(4)」 にアクセスをしてみて下さい。

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2008年4月27日 (日)

あれから、今 は、、【4】

mailto 平成13年(2001)5月2日。

『親父』の生存・存在を知った事で自分自身の中では、ある意味で大変に心が病んだ日々が続いていました。と同時にsnow[正月]からの約束事で、fuji【石鎚山】再登山の日が近づいていたのでした。  《2001年・正月に恩師と後輩とで【石鎚山】の再登山を計画。6月3日に敢行する事を約束していたのでした、、、、。》

然し、心の闇を晴らし新たな気持で『親父』との対面を決断する事に成ったのは、紛れも無く【石鎚山】の再登山でした。 Photo 実は1969年、school高校2年生の夏。山岳部の合宿で【石鎚山】縦走をしてから33年目の再登山が、『親父』との再会を決断したのでしょう、、、、、、、。44

2001年・この年は本当に不思議な年でしたなぁ、、、、。

ふっとした事から【石鎚登山】が決まり、ふっとした事から『親父』の生存を知らされる、、、何か運命的な計らいを感じて為りません。【石鎚山】を下山して二人と一緒に一路ship≪北九州≫に向う!愈々始るぞ!  翌日(6月4日)早朝に小倉港到着。下船後、魚釣りの為に遠賀郡芦屋のマリーナに向う事となった。思えば何と無茶苦茶なスケジュールだったか、、、今はゾーットしています。  《 fuji山に登ったと思ったら次はwave海ですからね 》 そして、迎えた6月5日。

『親父』に逢う前の準備で、『親父』の弟さん(私からしたら、子供の頃に遊びに行った御祖母ちゃんの家で、お逢いした「叔父」さん)と話し合う為の≪北九州≫入りです。この「叔父」さんが5月2日の別府市役所からのmailの張本人でして、何度も、何度もtelephoneで話し合いをしましたが、埒があかんので、直接対話をする為の≪北九州≫入りでした。Photo_2

「叔父」とも恐らく40年振りの再会となります。当初「叔父」は長男で無く、次男の私と『親父』の事で話し合いをするとは思っていなかったでしょう。が、先の{あれから、今 は、、(3)} で長男との関係を書いてます様に、大事な約束を平気で破る無礼者・長男が実は『親父』のお見舞いに別府に行く旨を、「叔父」に伝えて居たようでした。然し、結果は前述の話の通りです。

「叔父」は今迄の経緯上、私との対話を納得し『親父』の状況等を、謝罪も込めて話し合う事と成りました。   <平成13年6月5日 (2001年)>

 

  

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2008年4月25日 (金)

約束の石鎚登山から、、、≪1≫

昭和44年7月(1969)

戸商・山岳部の合宿登山で愛媛県・fuji石鎚山縦走を敢行。44 写真は「瓶が森」に向ってsad登山中です。スタートは"西条"から登り始めて、瓶が森に向う行程だったと記憶しているが、、、。途中、石鎚山及び天狗岳を経由しました。44_2

あれから33年、、、当時の先生・後輩と3人で平成13年6月3日に、新年からの約束で《西日本・最高峰》『石鎚山』に登山。当時の私は、bottleアルコールbeer・煙草smokingは絶好調でした。依って、迷惑を掛けない為に、一週間はnosmoking禁煙をして、beerも控えて頑張って来ましたが大阪からshipフェーリで松山港迄の間に、【魔】が差したんですわ!eye誰も見てない所で一週間分のbeerを取り戻す勢いで飲んでいたんですね。wave【松山港】に着いた時は、完全に出来上っていましたなぁ、、、、、。catface九州組の二人は必ず呑んで来ていると、、、、、、、。兎に角、迷惑を掛けない様に気合を入れて、下船。二人と【松山港】で再会をする。二人の思いが的中したし瞬間でしたなぁ、、、、、、。

後輩の開口一番《臭い》!『何本飲んだんね』の問いに、『分らん』!『あれだけbeerは駄目やけんね』と云ったのに。『俺が悪いのや無い』ぞ!『beerbottlesmoking」が悪いんや!』、、、。もう訳が分らない状況で、33年振りの『石鎚山』登山に向けて出発しました。Photo

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2008年4月22日 (火)

『通院の途中で、、』

fishPhoto 写真は柏原市の”長瀬川”です。

元気な元気なannoy『鯉』さんannoyが大きな口を開けて、【餌】を強請っています。又、川沿いの《皐》も咲き始めていました。003

cherryblossom桜も散って、今から《皐》・《ツツジ》の花が心を和ましてくれる事でしょう、、、。未だ未だ撮りたい光景が有りましたが、時間の関係で、、、、、。然し、この『鯉』さん達は本当に元気でした。

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2008年4月20日 (日)

あれから、今 は、、【3】 

005 平成13年(2001)12月。

hospital国立西別府病院で『親父』にannoy”来年の7月20日に俺の息子を連れて来るので確りと養生しとけや!”と筆談したら、ベットでsmile頷いていました。(『親父』からしたら、孫に中ります。)003 其の後は、婦長さんにご無理を申してtelephoneでの対応を戴いてました。息子も来年は就職も決まって、ピカピカの社会人1年生になる年でした。私は次男ですが、兄の長男は『親父』を含めて重宝されたようです。が、此れが全くの出来損ないで困った者ですangry。 shine実は平成14年5月に大分県宇佐市で嫁方の法事が有るので、其の時に『親父』の見舞いに行く約束でした。shine当然 私は逐一病院の婦長さんにご無理をお願いしていました。然し結果は思っていた通りの結末でした。アホにも程が有りますわangry!この段階で長男に絶縁を宣言しました。(過去にも嫌と言うほどこの様な事は有りましたが、一歩も・二歩も引いて今日まで来ていました。恐らく事が事でしたので我慢の限界を超えたのでしょう。)そして、、、、、、、、hospital telephone  

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2008年4月19日 (土)

あれから、今 は、、【2】 

annoy2001年5月2日。

別府市役所の1通の書類から始りました。死んだと思っていた『親父』が生存していた事が判明。私に取っては約40数年振りの父親の存在でした。『母』の苦労を長年 観て来た自分としては、『母』の立場も考慮しながら『親父』との対面を決意!shadow2001年8月8日私の49歳の誕生日に別府の『親父』と面会をする。色々と過去の感情も有ったが、老衰した『親父』を目の前にして全てを許す事にした。diamondこの写真は『親父』の部屋の片付けをした時に見つけた物。(恐らく還暦の時でしょう)Photo_3其の後は毎月 、別府にbullettrain 見舞い行っては『親父』と筆談、、、、、。003

平成14年(2002)6月14日、、、、、、telephone

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★あーぁ この味、、★

shine現在87歳の母親が『子鰯』が手に入ったら、必ず作ってくれた料理の一つに『糠味噌炊き』が有りました。糠床の糠を鰯と一緒に炊くという料理です。今は、小倉の旦過市場で売られています。然し、私に取っては母親の『糠炊き』が一番やなぁ。そんなこんなで、実は昨年から密かに母親にアドバイスを貰いながら、『糠床』を作っています。母の『糠床』には敵う筈も有りませんが、自己満足の味として『糠味噌炊き』にチャレンジ。shine2

何度も味を調え、出来た『糠味噌炊き』の味に舌鼓して あーァ この味、、、、、。我乍ら、自己満足!coldsweats01満足!coldsweats02 『母親』の味には、程遠いですが一歩・一歩近づく努力をして、『母』の料理を我が子にも継承をして行こう!と決意をしている。

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2008年4月17日 (木)

《春が来て、、もう梅雨、、?》

cherryblossom 『桜』の開花後に、如何した事か『雨の日』が多い様な気がします。今日も『雨』だ。

このまま『梅雨』、、、、、そんな馬鹿な! 未だ未だ、今は『春』ですよ。『春』です!3

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2008年4月16日 (水)

あれから、今 は、、【1】

平成13年(2001)8月8日。

40年振りの『親父』との再会。

hospital 平成14年(2002)、『親父』旅立ち。think 今年2008年は7回忌やなぁ、、、、。その間に、school 30年後の同窓会を開催したなぁ、、(2003)・(2004)年。{写真は2004年}Dsc00008

あれから、皆は如何して居るかなぁ。噂では『畠』やんが、埼玉から帰九したとの事。『尚』が又インドに行った、、、、?皆よ!又、俺が召集を掛けるぞ!

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