あれから、今 は、、【6】
49歳 私の誕生日・
平成13年8月8日に『親父』と再会を決意!![]()
私は【叔父】にその旨申しましたら、目に
泪を浮かべながら何度も、何度も頷いていました。そして《積年の念》に終止符が打たれた事に、心から心から
安堵していた様子で私の北九州での話し合いは、取敢えず一つ山を乗り越えて
帰阪の路に、、、、。
さて、此れからは私が『親父』とどの様な再会をするのか、、、、が、私の心を
悩ませていました。『親父』との40年間の空白を果たして乗越えられるだろうか、、、、、。帰阪してからは、日々葛藤の毎日でした。
そして私として取り組みを行ったのは、先ずは市役所と病院との話し合いでした。
市役所に【小倉の叔父】との話し合いの状況を全てお話をしました。そして、今後『親父』の事は私が引き受ける旨を申し上げました。同時に8月8日に『親父』と再会の為、別府の病院に出向く事を報告。市役所にも御挨拶に伺う事も伝えました。
又、
病院には市役所を通じて担当の婦長さんを紹介戴きました。婦長さんには、今迄の経緯を何度も申し上げて、この度『親父』に面会に伺う旨お伝えしました。同時に、今 何か必要な物が有れば送りますと云うと、○○と△△、、、云々。早速 手配をして送品。
其の後は、頻繁に
をして『親父』の状況を伝えて戴いてました。そんな或る時、婦長さんから鉄輪の
[K]さんが度々お見舞いに来られて要る事を聞きました。如何も『親父』が呼び出していた様でした。其処で【叔父】に
〔K〕さんの事を尋ねてみると、『親父』が今日まで色々とお世話に為っている方で、『親父』が勝手に自分の『後見人』さんに指名している方と判明致しました。(
市役所にも届けを提出していました。)
私は直ちに
〔K〕さんに
をして、『親父』の子供として初めての対話を致しました。鉄輪の
〔K〕さんには、今迄の経緯を申し上げて『親父』への心からのお力添えを感謝。
〔K〕さんは、私を快く受け入れて戴きまして本当に、本当に心からの感謝の念で一杯でした。そして8月8日に『親父』と面会をする旨を伝えると、
〔K〕さんは自分の事の様に心から
喜んで下さりました。面会後に
〔K〕さん宅に
ご訪問をさせて頂く事と相成りました。(
〔K〕さんからは、今から楽しみに心待ちにしていますとの事でした。)
平成13年8月8日に向けての準備は着々と整いつつ有りました。が、、、、、、。
一方
の方はと申しますと、婦長さんが『親父』に息子さんが、面会に来る旨を伝え聞いていた『親父』は、自分には子供などいない!し、勿論
私の事も全く知らないの一点張りで、子供の存在すら否定をし続けていた様子でした。其処で、婦長さんから私に手紙と写真を送って下さいとの事で早速
病院に、
郵送致しました。然し、再三 子供の存在を否定をしたそうでした。
こうなれば、如何しても8月8日に
面会をして、『親父』を
平伏させて必ず、反省と謝罪をさせてやるぞ!、、、、との想いが日増しに高鳴っていました。
そして、愈々 迎えた 平成13年8月8日
快晴の朝
別府に向って いざ出陣!!
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