あれから、今 は、、【7】
平成13年8月8日 快晴の朝
一路 九州へ
朝一番の
新幹線に乗車して『小倉駅』で下車。JR日豊線、特急〔ソニック〕に乗車。期待と
不安が入り混じりながら、いざ【別府】へ、、、、、、。
車中では大好きな
【ビール】を、丸で水の如く次から次へと飲んでいる自分がいました。 《実は【別府】には、平成11年8月に息子と【湯布院】
に行く為に〔関西汽船〕
で【別府】に立寄っていました。其の事は後日に書きますが、
小学校の修学旅行以来の【別府】でした。》
列車
は山越え・谷越えを繰り返しながら、次第に【別府】の
街並みが車窓に映し出されて来ました。此れから始まる歴史的な対面の瞬間が、愈々迫って来ました。
新大阪を出発してから、凡そ5時間。
大分県【別府市】に列車が到着。気持を
引き締めて【親父】の待つ、
【国立西別府病院】へ
タクシーで直行。
心の昂りが激しく
胸を打つ。この歴史的対面の瞬間を前に、婦長さんと面談。其の後、担当医の先生が時間を取って下さり私と初面談。
【親父】の病状に就いて、縷々説明を戴きました。そして、覚悟を決めました。
〔長くても、余命1年との事でした。〕
そして愈々、婦長さんと一緒に【親父】との
対面が遣って来ました。
開口一番、私は【正彦】や!【親父】解るか?、、、、、と。【親父】は観念して待っていた様子で、ただただ頷く計りでした。其の後は、私が一方的に【筆談】で対話をして、申し上げる事は全て伝えました。
【親父】は眼に薄っすらと
泪を浮べながら、『済まん』!と一言を申すと同時に【正彦】か、、、、と初めて名前を呼んで呉れました。 記憶に残っている限りでは、この時の【親父】の呼び声が私にとっては最初で最後でした。
私は【親父】の耳元で、そうや!【正彦】や! と伝えると何度も何度も頷いていました。そして【親父】に、『もぅ 許してやるけん』・『後の事は心配するな』・『全て、俺が面倒を見てやるけんもぅ 心配するな』、、、、と申して、此処に、
空白の40年間に【幕】が下ろされた
瞬間でした。![]()
丁度、
昼食の時間でしたので【親父】が俺の為に、
売店で何か買ってやるので
[車椅子]を婦長さんにお願いをしていました。そして
[車椅子]に【親父】を乗せて、私が押して病院内を廻りながら
売店へ、、、、、、、。流石に病院ですので、
【ビール】は有りませんので【お茶】と
【おにぎり】を買って貰い、再び病室に戻り一緒に昼食を取る事と成りました。 一時の間、二人は『無言の会話』中でした、、、、、、、。
どれ位経ったでしょうか、、、、、私から【親父】に今から
【鉄輪のKさん】と待合わせの為に
自宅を訪問する旨を申し一旦、
病院を出る事を告げました。
【鉄輪のKさん】、、、、、、【親父】が大変にお世話に為っていた方。TELでは何度もお話をしましたが、、、、、、、。愈々 初対面の時を迎える事と成ります。
| 固定リンク
「あれから、今、、は」カテゴリの記事
- あれから、今 は、、【10】(2008.07.05)
- あれから、今 は、、【9】(2008.06.15)
- あれから、今 は、、【6】(2008.05.10)
- あれから、今 は、、【5】(2008.05.03)
- あれから、今 は、、【8】(2008.06.08)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1019105/21004339
この記事へのトラックバック一覧です: あれから、今 は、、【7】:

コメント