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2008年4月27日 - 2008年5月3日

2008年5月 3日 (土)

あれから、今 は、、【5】

平成13年6月5日。   愈々、『叔父』との話し合いの場へ、、、、、。

朝からrain雨模様の天気で、話し合いの前途を危ぶむかの、、、雲域でしたな、、。後輩の車でカーナビを頼りに『叔父』のhouse家へと向いました。近くまで来た所でtelephoneをしていた時、私をまじまじと見詰ている初老の男性が、【正彦】か、、、、。と、声を掛けて来ましたので「ハイ」と答えると其の方が「親父」の弟の『叔父』さんでした。約40年振りの再会でした。

私の後輩に対しては、感謝の意を込めて最大限の御持て成しを施して戴きました。後輩とは、『叔父』の家で別れる事になり、私も感謝の念で『叔父』と一緒に後輩を見送りました。

愈々『叔父』との間で、空白の40年間を其々の想いで話し合っていました。不思議と自然に又、無意識の内に腹を割って話し合っていた自分が其処にいました。そして、今回の話の全容を知らされました。が、私としては素直に「親父」を許す訳にはいかないので、この場では即答を避けました。(今迄の母の苦労を考えると、時間が必要でしたので、、、)

其の時、『叔父』から兎に角 見せたい物が有るので、、、と渡されたのが”御祖母ちゃん”の【遺言】でした。Photo_10 「親父」に対する、「母親」の想い、、、、そして、「孫」にあたる私たちと「母」に対しての、後悔の念,、、、、等々。御祖母ちゃんの想いが、綴られていました。そして、最後に私達子供の誰かが「親父」の最期を看取ってくれる事を願って要る旨でした。同時に、『叔父』に対しては「親父」の「墓」を建てて最大限に供養する旨、申し伝えていました。

其の為『叔父』は、私との本日の話し合いが決まった時点に、既に「親父」の為の【墓地】を購入していた様でした。依って私に【墓地】の下見に行こうと申しますので、取敢えず連れて行って貰う事と成りました。

実は私の母がこの年(平成13年2月)にPhoto_8 【墓】を建立しまして、写真を送って着た事を思い出し○○霊園に【墓】を建てたことを話しましたら、何と購入された【墓地】は同じ霊園と判りまして、早々に2人で霊園に向う事と相成りました。(偶然は此れだけでは終りません)【事務所】で【墓の建立】の手続きを行い、場所の確認を致しました。そして母の建立した【墓】の場所とPhoto_9 「親父」の【墓】の建立予定地とが、中央の大通りを隔てて横一の場所でした。そして因みに、104歳の天命を全うした【御祖母ちゃん】の眠っているお墓が、三角点の頂点に位置している事が判明した訳で在ります。

【御祖母ちゃん】が、自分の廻りに私達を呼び寄せたの如く【不可思議な縁】を肌でひしひしと感じた次第でした。  私として、《腹》を決めました。

 平成13年8月8日、我が49歳の誕生日に別府の「親父」と再会を約束!!

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2008年4月28日 (月)

約束の石鎚登山から、、、≪2≫

gawk平成13年6月3日。

33年の”時の流れ"は非情にも、私達の記憶を打ち消すかの如く、全くの別世界に入り込んだ感の《登山口》にshock唖然と致しました。Photo_3 同時に此れから登り始める4・6km先のfuji【石鎚山頂】を、どの様にして克服しょうかなぁ、、、とcatface『頭』は考え、『身体』は、このwobbly二日酔いをどの様にして克服しょうかなぁ、、、と、coldsweats02葛藤の中での【再登山】がスタート致しました。(山頂まで約3時間を目標に)

スタートしてからの1時間は全く喋る余裕も無く、只 登山道の先のみ見詰ての状態です。最初の休憩の時には、『身体』中のbeerアルコールが"汗"となって流れ出ていたんですわ。お陰で調子も上向いて来ました。当然、口からも普段のように言葉がポンポン出て来だしました。 H1363

周りの景色も変化を繰り返しながら、一歩・一歩【山頂】に近づいてきていました。【石鎚桜】も満開でして、本当に本当に沈んでいた心も、何時しか晴れ晴れ浮き浮きに変わっていたんですわ。

愈々、【山頂】前の難所【三の鎖場】です。Photo_5 此処を昇りきれば、【石鎚山】山小屋です。(弥山1955m)

想えば33年前も昇ったこの【鎖場】でした。何とか、迷惑を掛けずに(弥山1955m)の【山頂】に登頂しました。136

其の後、最高峰の【天狗岳1982m】に登頂して、3人で33年後の目標を達成!

食事を取りながら、ウィスキーを飲んで雑談をしながら下山後の予定を確認し合い一時を楽しく過しました。

下山後は≪道後温泉≫に入る予定でしたが、途中の≪国民宿舎≫の温泉に立寄って3人で"汗"を洗い流しました。私としては之から始まる、『北九州』での事が頭を過ぎっていった事は、申すべきも無い事実で有りました。Photo_7

     「あれから、今 は、、(4)」 にアクセスをしてみて下さい。

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2008年4月27日 (日)

あれから、今 は、、【4】

mailto 平成13年(2001)5月2日。

『親父』の生存・存在を知った事で自分自身の中では、ある意味で大変に心が病んだ日々が続いていました。と同時にsnow[正月]からの約束事で、fuji【石鎚山】再登山の日が近づいていたのでした。  《2001年・正月に恩師と後輩とで【石鎚山】の再登山を計画。6月3日に敢行する事を約束していたのでした、、、、。》

然し、心の闇を晴らし新たな気持で『親父』との対面を決断する事に成ったのは、紛れも無く【石鎚山】の再登山でした。 Photo 実は1969年、school高校2年生の夏。山岳部の合宿で【石鎚山】縦走をしてから33年目の再登山が、『親父』との再会を決断したのでしょう、、、、、、、。44

2001年・この年は本当に不思議な年でしたなぁ、、、、。

ふっとした事から【石鎚登山】が決まり、ふっとした事から『親父』の生存を知らされる、、、何か運命的な計らいを感じて為りません。【石鎚山】を下山して二人と一緒に一路ship≪北九州≫に向う!愈々始るぞ!  翌日(6月4日)早朝に小倉港到着。下船後、魚釣りの為に遠賀郡芦屋のマリーナに向う事となった。思えば何と無茶苦茶なスケジュールだったか、、、今はゾーットしています。  《 fuji山に登ったと思ったら次はwave海ですからね 》 そして、迎えた6月5日。

『親父』に逢う前の準備で、『親父』の弟さん(私からしたら、子供の頃に遊びに行った御祖母ちゃんの家で、お逢いした「叔父」さん)と話し合う為の≪北九州≫入りです。この「叔父」さんが5月2日の別府市役所からのmailの張本人でして、何度も、何度もtelephoneで話し合いをしましたが、埒があかんので、直接対話をする為の≪北九州≫入りでした。Photo_2

「叔父」とも恐らく40年振りの再会となります。当初「叔父」は長男で無く、次男の私と『親父』の事で話し合いをするとは思っていなかったでしょう。が、先の{あれから、今 は、、(3)} で長男との関係を書いてます様に、大事な約束を平気で破る無礼者・長男が実は『親父』のお見舞いに別府に行く旨を、「叔父」に伝えて居たようでした。然し、結果は前述の話の通りです。

「叔父」は今迄の経緯上、私との対話を納得し『親父』の状況等を、謝罪も込めて話し合う事と成りました。   <平成13年6月5日 (2001年)>

 

  

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